『お花とヨガ』
先月の終わり、お花とヨガのワークショップを開催しました。このワークショップは、わたしが習っているお花の先生の花束作りとわたしの指導するヨガを体験できるものでした。このようなコラボの企画は、初めての試みで、緊張とわくわく感が入り混じった気持ちでした。
ワークショップでは、はじめに、秋の花たちを束ねて、大らかな花束を作りました。
一本一本の花たちが重なり、溶け合うようにひとつの束になり、作る人によって花の束ね方も異なり、個性溢れる花束になっていました。花器に入れた花束を抱え、ヨガのスペースへ。
部屋に花束を飾り、その空間の中でヨガの時間を過ごしました。
ヨガの時間は、呼吸に合わせながらゆっくりと身体を動かし、身体の声に耳をすませました。
ヨガの後には、花束をラッピングして、お茶の時間を過ごし、ワークショップの感想を言ったり、参加者同士の交流の場となり、和やかなリラックスした空間になっていました。
感想の中には、ヨガの後、「こんなに深い呼吸ができるなんて…。」「お花に囲まれてのヨガは、お花の香りもして、いつものヨガと異なる素敵な時間でした。」「リラックスできました。」などと、さまざまな感想を聴くことができました。
私自身も、花束作りでお花に触れ、お花のある空間でのヨガを通して、お花からエネルギーを受け取り、心身共に和らぐ感覚がありました。この感覚は、参加者の方々の表情や言葉から、共有できている!と感じることができました。
普段、わたしが行うヨガのクラスは、ヨガ以外のものとコラボすることがなかったので、お花とヨガのコラボは、出逢いや初めて味わう感覚、気づきがあり、貴重な体験ができました。
そして、ワークショップの前後には、友人やヨガ仲間からメッセージが届き、なかなか会えない人であっても、心を寄せてくれていることを実感しました。これからも、チャレンジする気持ち、わくわくする気持ちを大切にしていこうと思います!
追記
呉にあるお花の教室(DeuxBlanc)には25年前に通い始め、広島を離れた今も、オンラインでお花を習っています。お花の先生は、わたしを通じてヨガに触れるようになり、ヨガが日々の生活の中で欠かせないものになっておられます。
そのような関係が続けられたことで、今回お花とヨガのコラボにつながったことは、育んできたものが花を咲かせたかのようで、本当にうれしいです。
2024年11月16日
『気づきはチャンス!』
ふとした瞬間に、自分が考えていたことに気づき、“ハッ”とさせられることがあります。その時の私は、無意識に「あ~〇〇しなきゃいけないな。」と思っているのです。それは、家事であったり、誰かへの連絡、自分がやりたいと思っていることなど、さまざまなことです。
そんなふうに、「〇〇しなければ・・・。」と思っている時は、自分の状況や気持ちを追い込み、ゆとりを失くしてしまっています。そうすると、余力もなく、物事を楽しむ気持ちも失くし、ゆったりと物事を考えることもできなくなっています。
自分の〇〇しなければに気づく度に、しなければいけないことってあるのかなぁ、自分はどうして〇〇をしようとしていたのかなぁと、その度に考えることにしています。例えば、料理であれば、「あ~食事の準備をしなきゃ」と思った時、「料理して、家族に食べてもらいたかったんだ!」「このレシピ作ってみたかったんだ!」などと、自分がやりたいと思っていた気持ちに気づきます。
「やりたい!」「やろう!」と思っていることも、自分の思考が、「〇〇しなければ」という思考の癖になっていることに気づくことによって、行動に対する思いも、行動にも変化を生むと感じています。
こうして思考の癖に気づいていく内に、思考の癖が口癖になっていたり、思考の癖がひとつではないことにも気づきます。癖に気づき、意識して他の考えや気持ちに切り替え、思いや行動が変化していくことで、この先の運命まで変えられるのでは!と思っています。だから、最近は、思考の癖に気づいてネガティブな気持ちを抱くのではなく、気づけた瞬間に「やったー!」とワクワクしている自分がいます。
2024年7月7日
『失敗なんてない』
先日、パン教室で捏ねたパン生地を持ち帰って、自宅で焼く機会がありました。「うわぁ~焼けるかなぁ。私にできるかなぁ。」と不安が沸き起こりました。
そのような気持ちになったのは、以前、自宅で何度か過発酵してしまい、上手く焼けなかったことがあり、その経験を失敗と思い、自宅でパンを焼くことを避けてきたからです。
ですが、実際にパン作りをして、全ての工程で、生地の様子に気持ちを向け(生地の声を聴くように)、「美味しくなーれ」と心を込め、ただ集中・熱中していました。不安といったネガティブな感情はなく、「焼いてみたい!チャレンジしてみたい!」というポジティブな感情しかありませんでした。発酵の時は、ただ待つだけ、発酵の力に委ねるだけでした。
もちろん、過発酵してしまうと、うまく焼けることはありません。だから、焼き上がったパンが「結果」であり、その結果を「失敗」として捉えていたのです。過発酵したことは、ただ発酵し過ぎたという事実だけなのに、それに対して、「失敗」と「私は上手く作れない」「また、同じ失敗するかも」というネガティブな感情や苦手だという思い込みを結び付けていたのです。そうすると、やりたいことを取り組むこともなく、パン作りを避け続けるということが起こっていたのだと思います。
自分が結果として捉えたことが「失敗」だと、私は思い込み、落ち込み、チャレンジする気持ちを持てずにいました。
皆さんは、
「私にはできないかもと思い込んだりしていませんか?」
「わくわくするけれど、チャレンジしたいけれど、一歩踏み出せずにいることはありませんか?」
「興味があること」「好きなこと」「避けてきたこと」いろんなことに、是非、チャレンジしてみてください!
私は、経験というものは、当たり前のことではないと思っています。今回のパン作りをする内に、経験も経験からの気づきというものも、神様からの「ギフト」だと思っています。
今回の経験を忘れず、経験をチャンスにして取り組んでいきたいと思っています。
どこかで、皆さんも経験を積んでいることを励みに!
2024年3月13日
『つながり 』
今日、今年最後のオンラインヨガの日でした。
今年は、私にとって、転勤のために引っ越しをするという変化の年になりました。
松山に住んでいた時、北条ヨガ教室を開講していましたが、引っ越しと同時に、教室を閉じる ことになりました。9 月からは、教室の場はオンラインとなりましたが、北条教室を受講されて いた方が、受講後、「目を閉じていると、北条教室の時のように、先生と同じところにいるよう に感じた。」と言われていました。この言葉に、私の中にあたたかいものが沸き起こってくると 共に、場所という縛りを取り払ってしまえば、繋がっているのだというおもいでした。
ヨガをする場は、それぞれ違う場であっても、同じヨガの時間を共有し、人とのつながりの 場になっていることを実感しました。
これからも、ヨガを通した、ひとつひとつの出会い、体験を大切にしていきたいと思います。
2023年12月17日(記:谷脇)
『耳を傾ける』
先日の出来事です。
娘から、「お母さん、この間も言ったやん。」と言われ、私はハッとしました。この言葉、娘から、何度言われただろうか・・・。
この言葉を言われて、今朝、私の中に、ふっと浮かんできたものがありました。
介護職をしていた時に、 「聞く」と「聴く」のちがいを学んだことが思い出されました。「聞く」は、耳に入ってくること。「聴く」は、 耳を、心を傾けてきくこと。その当時、ご利用者(高齢者)の話に、心を傾けて聴くことを心がけて関わ っていたことを思い出しました。私は、娘の話を、ただ耳に入れていただけだったことに気づかされま した。他のことをしながら、何か考え事をしながら、ただ耳に入れていただけだったことに。娘(相手) の方を向き、心を傾けて聴く姿勢こそが、「聴く」ということだと、再び、気づきを与えられました。
この気づきがあり、ヨガのクラスでも、先生が「身体の声を聴きましょう」と言われていることと繋が っていると思いました。身体の声を聴こうと、外へ向こうとする耳を内側へ向けます。動き回る心を内 側へ向けて身体の声を聴きます。心を傾けて聴くことが、聴こえなかった、聴こうとしなかった身体の 声に気づくことができるのだと思いました。
心を向ける、心を集中させて聴くことは、ヨガでも、日常生活の人との関わりの中でも大切な姿勢 だと思いました。娘、家族、友人たちの話、そして、内なる声に、心を傾け、集中して聴いていこうと思 います。「一意専心」の気持ちで!
日常生活は、ふとした瞬間に気づきを与えてくれる場だと実感しました。わくわくしてきました!
2023年9月28日
『当たり前のない日常』
最近、私の中に、何度も湧き起こってくるおもいがあります。
それは、日々の生活を送る中で、当たり前のことはないのだというおもいです。
昨年の春に始まった北条ヨガ教室は、広島でオンラインクラスを受講して下さっている方から、松山(北条)在 住のご友人を紹介して下さったことがきっかけでした。ご縁をいただき、ご友人の方がご友人へ、ひとり、ふた り・・・と、ヨガの輪が広がり、ヨガ仲間のつながりができています。人との出逢い、場所を提供して下さってい る施設、ヨガをしたいという受講生のおもい、さまざまなものが結びつき、場が成り立っていることを実感して います。そして、私がヨガ教室に力を注ぐことができているのは、家族のサポートやヨガ仲間、友人のエールな どがあるからです。どんなことも、当たり前ではないことに気づかされます。
健康の有り難さに気づかされたり、人のあたたかい言葉に助けられたり、買い物ができたり、私の日常生活 は、当たり前でないことばかりに支えられ、成り立っています。
当たり前ではないことは、有ることが難しいこと。有り難いこと。
日々、有り難いことの連続。感謝の気持ちを忘れずに、丁寧に過ごしていきたいと思っています。
2023年7月7日(記:谷脇)
『手の力』
瞑想を終える時、手のひらをこすり合わせ、手のぬくもり、エネルギーを感じたら、その手のひらを、 そっと瞼の上にかぶせます。再び、手をこすり合わせ、瞼、頬、顔、全身へと手のひらを当てていきます。 手から伝わるぬくもり、癒し、エネルギーを感じます。
手当てという言葉があります。私たちは、お腹が痛い時、お腹に手を当てて、お腹をさすります。誰 かを勇気づけたい時、肩をポンと叩きます。思い返してみると、介護の仕事をしていた時、足を痛がる 方の足をさすったり、不安な様子を見せる方の背中をさすったり、手を握ったりしていました。
手を通して、おもい、ぬくもり、エネルギーを伝えていることに、再び、気づかせてくれたのは、インド で聴いたディクシャ先生のお話でした。(2023 年 3/27~3/31 シヴァラーヤ・ヨーガ・シャーラ滞在)
「食べもの」のお話でした。
食べものは、体を育み、私たちが役割を果たすために、エネルギーとして食べものをいただいている こと。食べものは、その日の輝き、エネルギーとして取り入れているため、欲求を満たすためではなく、 必要とするものを満たすために、食べものをいただいているという内容でした。
食べることによって、私たちの内側のエネルギーも変わります。食事は、作る人がいます。作る人の手 を通して、食べものは作られます。作る人のおもいが手を通して、食べものに入っていきます。キッチ ンでは、話をしない、考え事や悩み事を手放し、お祈り(チャンティング)をしながら作っていること、ネ ガティブなものが、食べものに入らないように作っていることを知りました。
私自身の食事作りの場面を振り返ってみると、忙しさや焦りを感じてイライラして台所に立って準備 をしていたり、作らなきゃいけないという気持ちで作っていたり、食事作りに感謝の気持ちを持たず、 考え事をしたり、集中することなく作っていたことに気づかされました。そうして作った食事は、感謝 の気持ちを持たないまま、感情を引きずっていたり、「美味しかったね」という言葉さえ沸き起こって いないなぁと思いました。
ディクシャ先生のお話を聴いてから、食事作りに集中するために、携帯電話が鳴っても手に取らない こと、考え事に気がついたら手放すことを心がけています。食事作りに意識を向けていると、食事作り が楽しくなってきました。そうすると、献立を考えることも楽しくなってきました。食材があること、食 べものを目の前にしていただくことができること、感謝の気持ちを感じます。もちろん、いつもこうし て食事作りができている訳ではありません。ですが、お話を思い出し、心がけていけたらと思っていま す。
そして、もうひとつの変化。 娘を送り出す時、肩をポンと叩いています。手から、想いが伝わりますように・・・と。
今日のブログは、心と手も繋がっていることを書いてみたくなりました。
読んでくださって、ありがとうございました!
2023年4月19日(記:谷脇)
『言葉のちから』
先日の今年度最後の参観日でのこと。
この日の参観日は、「お家の人に感謝を伝えよう集会」でした。子どもたちが、自分たちで考えたお店を開いて、お家 の人たちをおもてなしするという内容でした。
お家の人たち、来られた人たちを喜ばせようと、大きな声で呼びかけたり、体育館の中を動き回ってお誘いをしたり、 お店では緊張した表情、にこにこした表情を見せながら、一生懸命と、丁寧に説明してくれていました。買い物後に は、大きな声で、みんなで「ありがとうございました!」とお礼を伝えてくれていました。そして、参観日の最後には、 全員そろって、感謝の言葉がありました。その言葉、声を聴き、こんなにも言葉には力があるんだなぁと思い、胸がジ ーンとして、ウルっとしてしまいました。
子どもたちのおもいのこもった言葉から、見えないけれど、確かに存在する言葉の力が、胸に伝わってきました。 この日の出来事は、言葉の力、大切さを気づかせてくれたと思っています。日々、私が伝えている「ありがとう」 の言葉、「ごめんね」の言葉、相手に伝えている言葉は、心を込めて言っているのかなぁ、言葉を通して気持ちを伝え ようとしているのかなぁと振り返ったりしました。言葉という道具を使っておもいを伝えているのだと思うと、ひと つひとつの言葉を大切にしたいとうい思いが沸き起こってきました。
この参観日の「ありがとう」の言葉から、言葉の力を感じました。伝えることは相手がいてくれるからできます。相 手を想い、伝えたい、届けたい、そんなおもいを大切に伝えていこうと思います。
言葉におもいを乗せて、そして、言葉を大切に…。
2023年2月17日(記:谷脇)
『観察』
ヨガでは、「内側に意識を向けて、観察をしましょう。」と伝えられ、私も、教室で、そのように伝えています。
私は、ヨガの観察が、日常生活にも変化を生んでいることを実感し、観察の楽しさを味わっています。それは、観察することが、自分自身の気づきに繋がっているからです。
ヨガで、アーサナや呼吸法、瞑想を通して、いろんな場面で、客観的に、自分の身体、呼吸、心の状態等を観察します。例えば、「足首回しでは、足首の回る角度によっては、カクカクとした動きが見られる。スピードが速くなった角度がある。肩に力が入っている。足首回しから意識がそれていた。」などと、観察を通して、心身の状態が見えてきます。「カクカク動く→回っていない角度があったな、丁寧にコントロールして回してみようと気づきます。肩に力が入っている→無駄な力が抜けてないな、ゆっくりと吐いて力を緩めていこう。足首から意識がそれていた→足首を回しながら他のことを考えて集中できていなかったな、内側に意識を戻そう。」などと、観察が気づきに繋がっていきます。
この観察するということが、日常生活を送る中で、支えとなり、今を変え、運命まで変えているように感じています。観察が、気づきになり、それば、自分の言動、行動に繋がっています。
日々、いろんな場面で、感情が沸き起こります。観察していると、それに気づきます。腹が立ったという感情だったら、気がつくことで、呼吸を深めたり、今、その場にとって、ふさわしい行動をとろうとする気持ちに繋がります。もし、不安な感情だったら、この感情は持ち続けなくていいなと気づき、不安な気持ちを手放すことができます。
「観察→気がつく→今が変わる!」それを実感するようになり、観察することが、今、未来をも変えるのだと思います。
また、観察する視野の広さによって、見えてくるもの、気づきも変わってきます。
先日、それに気づかされる出来事がありました。私は、自分の置かれている状況だけに目を向けていたのです。まわりの人に目を向けず、自分だけに目を向け、狭く、偏った視野になっていたのです。
俯瞰して見ることができていなかったことに気がついた時、ハッとしました。し過ぎない反省をし、気づくことができた喜びを受け取ることができました。
ヨガを通して、観察、俯瞰することの大切さを教えていただいています。
「俯瞰する。」立ち位置を変えながら、何メートル、何キロも離れたところから、もっともっと広く、宇宙から・・・、それぐらい広く観察すると、気づきも変化していくと思っています。私の言動や行動が、家族、友人、すれ違った人、植物や生き物、いろいろなものに影響を与えるのだと思っています。
これからも、ありのままを見るまなざしで、日々の観察を続けていこうと思います。楽しむ気持ちをもって…!
2022年12月8日(記:谷脇)
『ある秋の日』
急に冷え込み、秋らしくなった日。
自宅でのヨガ(アーカイブ)を終え、秋を探しに出かけました。
歩きながら、松山に転居して7年半が経つなぁ~と、ふと頭に浮かんできました。なぜか、その時、心身の緩みを感じました。「あ~力が抜けてる、心地が良いなぁ~。」何でだろうと考えると、ここでの暮らしが馴染んできたのかなぁと思いました。
引っ越してきたばかりの頃は、知り合いもいない、子どもとどこへ遊びに行ったら良いのか、と慣れない場所での生活に、不安や寂しさなど、いろんな感情が沸き起こり、知らず知らずの内に、無意識に、緊張し、身体が縮こまり、心も身体も硬くなり、自分のまわりに枠ができていたように思います。
ヨガでは、アーサナ(ポーズ)で束縛の状態を作り、ポーズを解いて、パッと束縛や緊張を解き、心身を緩めていきます。アーサナ後のくつろぐのポーズでは、俯瞰して、心身や呼吸の状態を観察し、力みや緊張等に気がついたら、緩めることを繰り返します。気がついた思考や感情も手放していきます。それにより、心身の緩みが起こってきます。
歩きながら、ヨガで心身を緩めることが、日々の暮らしに繋がっていることを実感しました。「友達がいない。」「頼れる人がいない」「馴染めない」といろいろ沸き起こっていたおもいは、私自身が、枠を作り、思いこみ、身体にも心にも力を入れ束縛を作っていたのだと、気づくことできた瞬間でした。体調を崩し差し入れをしてくれた人、実家で採れた野菜を届けてくれた人、子どもを預かってくれた人、たわいもない会話で笑顔をくれる人、そして、この山や海、田畑、この地で採れた新鮮な野菜や果物等、枠を取り外すことで見えてきた世界がたくさんありました。
「自分が何とかするんだ!」といる力みを解き、委ねることが、硬くなった心をほぐし、居心地よさにつながっているのだと思いました。また、いつの日か、知らない土地へ移り住むことになっても、心身を緩め、しなやかに、その土地に馴染んでいきたいと思っています。ヨガの先生が、シャヴァアーサナ(仰向けのくつろぎのポーズ)で、「マットに身体を馴染ませて…」と言われます。そんな感じです。身を委ねる!自分自身の凝り固まった思考やネガティブな感情も、手放すことで、日々の暮らし、世界は変わるのだと思いました。
ヨガの教えは、日常の中に生きていく。それを実感した秋の一日でした。そして、この日の秋探しは、稲刈りに、色づき始めた柿…。さあ、今度は、どんな秋に出逢えるかな。そして、誰と、場所と、風景と出逢えるかな。
2022年10月7日(記:谷脇)
『まなざし』
7月の勉強会で、「事実をありのまま見れるまなざしが大事。そのまなざしをアーサナで養っている。」と聴いた後のヨガ教室での出来事。
この日は、瞑想の前に、片鼻ずつの呼吸法を行いました。教室後、一人の生徒さんが「左右で、こんなに(呼吸の状態)違いがあるなんて!!」と驚かれていました。その時、私は、「呼吸の状態、左右の違いを観察するまなざしを遮るものがなく、思い込みという縛りがないことが、こんなにも新たな気づきを与えてくれるものなのだと感動と共に、新鮮な気持ちで生徒さんの言葉を聴いていました。また、別の日のこと。ある生徒さんが、立ち木のポーズ(バランス)が苦手だと話されていたことを思い出し、「今日は、苦手だという気持ちを取り払って、初めて、このポーズを行う気持ちでポーズをとってみましょう。」と声をかけてみました。ポーズをとり始めると、その生徒さんは、おもわず、「あっ!」と声を上げておられました。ポーズをとる姿に変化が見られました。苦手だという思い込みなど、ポーズを行う時の意識を変え、観察するまなざしをクリアにさせることが、こんなにも心身の状態に変化をもたらすなんて・・・。
私自身、思い返してみると、ヨガの時、人と接する時、物事を考える時、周囲の出来事(日々のニュースなど)、いろんな場面で、この思い込みが邪魔をしていることに気づきます。「これは苦手」「前もできなかったから今日もできないだろう。」などと、過去の経験や自分の作り上げた世界(イメージ)によってできた思い込みで、自分自身を観察するまなざしにフィルターがかかってしまったり、物事を考える時や人との関係づくりでも思い込みが邪魔になっていることがあります。そして、自分の考え、言動や行動を正しいと思い込むことがあります。
勉強会での話や教室での生徒さんの気づきが、私自身のまなざしをクリアにしていきたいという気持ちに繋がりました。少しずつ、この思い込みというフィルターを取り除いていくために、アーサナをしたり、呼吸法をしたり、瞑想をしたり、聖典を読んだり、さまざまな方法を通して、心や身体、意識の浄化に励んでいきたいです。
さあ、今日一日、新鮮な気持ちでヨガをしよう!新鮮な気持ちで人に会おう!新鮮な気持ちで考えよう!
2022年8月12日(記:谷脇)
『夜のひととき』
もうひと月以上前から、夜に、家族とヨガの時間を過ごしています。
家族の「ヨガしてみようかな。」との言葉がきっかけでした。それから、夜に、一緒にヨガをするようになりました。
ゆっくりと深い呼吸をしながら、前屈をしたり、身体を反らしたり、その日によって行うアーサナ(ポーズ)はさまざまです。「あ~伸びている。」と背骨や膝裏の伸びを感じたり、コントロールして吐くことの難しさを感じたり、身体の反応も、呼吸や心の状態も、日々違うことを感じています。瞑想も、「今日は、いろいろと考え事が浮かんできて、集中できなかった。」という日、「今日は集中出来た。」という日もあります。一緒にヨガの時間を過ごす中で、身体も心の状態も日々変化していることを実感させられます。体調、睡眠、その日にあったこと、心の状態、ストレスの状態等で、アーサナも呼吸も、集中状態も変化しているのだと感じ、ヨガを通して自分の心身を調えるメンテナンスが必要だと改めて気づかされます。主人が、ヨガ後に読書を楽しむ様子や、翌朝にすっきりと目覚める姿を見て、短い夜のヨガのひとときの効果を感じています。私自身も、その日の自分を味わい、心身の緩みを感じる時間になっています。そして、このヨガの時間を通して、一緒に同じ時間を過ごすことが、コミュニケーションのひとつになっているように感じています。「今日はヨガするの?」の言葉に、家族の「するよ!」の返事が、お互いのやる気へと繋がっています。これからも、ヨガを休む日があっても、ひとポーズだけの日があっても良し!そんな気楽な、ゆったりとした気持ちで、この時間を楽しんでいきたいと思っています。
2022年6月7日(記:谷脇)
『日記』
昨年の暮れから、休んでいた日記を再開しました。きっかけは、オンラインでインドの先生によるヨガの講座を受けている時に、先生から「感謝の日記を書いてみてください。」「感動したこと、突き動かされたこと、祝福を与えられたこと、助けられたことを書いてみて下さい。」と勧められたからです。
思い返せば、ヨガの先生になるために「指導者育成コース」で学んでいた頃、同じようにヨガ日記を勧められたことがありました。10年も前のことになります。
毎日、「目標」「誓い」を立て、1日の終わりに、その目標、誓いを達成できたかを振り返るのですが、当時の先生からは「実行できなかったら、実行できなかった理由を考え、また挑戦。くよくよしないこと!」とアドバイスを頂き、しばらく続けました。今、読み返すと、反省文のような内容の日もあれば、ポジティブな内容の日もあり、日によって日記に書かれていることはさまざまです。誓いを立てることを忘れて過ごしている日もありました。
この「誓い」を、自分で決めることもありましたが、『ヨーガとこころの科学』という本に書かれている「日々の祈り 十五カ条」から選ぶこともありました。
「今日一日は幸福でいよう。よけいな欲や期待はもつまい。」
「今日一日は微笑みを絶やさず、やさしいまなざしで人に接しよう。嫉妬はしまい。」
といったことが書かれています。
今思えば、「誓いを立てる」ことは、その日一日をどのように過ごすか、何気なく過ごすことなく、意識的に生きる、コントロールすることに繋がっていたように思います。
日記を読み返すと、今も同じようなことで前に進めずにいることもあれば、少しずつだけど実行できるようになっていることもあり、書き残しているから、今の自分と照らし合わせることができるのだと思います。
日記を続けることは、やり続ける力が必要です。「もう、やめた!」と止めることは簡単ですが、書き続けることで、自分に気づきを与えてくれます。日記を休む日があっても良い。おおらかな気持ちを持ちながら、今夜も、日記を書いて寝ようと思います。
2022年4月15日(記:谷脇)
『呼吸は、神様からのギフト』
まだ、寒い日が続く日々。ふぅ〜と深呼吸をします。冷たい空気が鼻に入り、鼻腔で温められ、呼吸をしていることを体で感じます。
この呼吸に、私は、一日の中で、どれだけ意識を向けることができているのだろうか、と思うことがあります。
ふと、「呼吸は、神様からのギフト」という言葉が頭に浮かびます。この言葉は、現在、インドから講座をオンラインで受講しており、その先生から伝えて頂いた言葉です。
「呼吸は、神様からのギフトです。私たちは、呼吸は無料なので、時に邪険に扱ってしまうことがあります。」その言葉を聴いた時、私は、日々、ギフトだと実感することなく、当たり前のように呼吸していると思いました。そして、当たり前の反対語の有り難いという言葉が浮かびました。有り難いという気持ちを持って呼吸したことがあっただろうか。呼吸できていることは当たり前ではないと気づかせて下さった先生の言葉も、ギフトだと思いました。
この呼吸が与えてくれる力。
深呼吸して、緊張や疲れが緩み、気持ちが和らぎます。
呼吸を通して、エネルギーを取り入れて、エネルギーが満たされてます。
体が温かくなります。
たくさんの効能を生み出してくれる呼吸。
まさに、「神様からのギフト!」です。
無意識に、当たり前のように呼吸をして、呼吸していることさえ忘れてしまうこともある私ですが、一日の中で、ギフトを実感し、感謝をする時間を持っていこうと思います。
2022年2月10日(記:谷脇)