インドでの体験を少しずつですが、綴っています。どうぞ皆さまも、想像力を高め、その場にいるかのような心持ちでお読みください。
パートⅢは、ネタラ村で出会った人々を通して感じたことについて綴ります
2026/05/20
インドでの体験を少しずつですが、綴っています。どうぞ皆さまも、想像力を高め、その場にいるかのような心持ちでお読みください。
パートⅢは、ネタラ村で出会った人々を通して感じたことについて綴ります
ディクシャ先生と共に、ご近所さんへ。
牛を6頭、にわとりを3羽飼っているお宅の奥さんが温かく迎えてくれました。
パンジャビドレスに手編みのベスト、頭に被った手編みのスカーフの色合わせが素敵で、
わたしがそれらに興味を示していると、
彼女はスカーフを取り外し、表と裏を見せながらこう説明してくれました。
「表は、畑作業のときの太陽の光ですっかり色あせてしまったけれど、ほんとはこんな色だったのよ」と。
スカーフの裏側、本来の毛糸の色は、深い赤、朱色のような毛糸本来の鮮やかさが保たれており、
太陽にあたった表側は、みごとに色あせ、変色しています。その表裏の色の対比が、
太陽の下での労働を映し出しているようでした。
エネルギッシュな表情で説明してくれた彼女をみて、あぁ、わたしはこれほど、生命を使いきって生きているだろうかと、自分の在り方が映し出されるようです。
牛6頭、にわとり3羽の飼育も、炎天下の畑作業をせずとも、帰国してから、自分の土地で生命を使い切ろう。
彼女に再び会ったとき、わたしも自分の置かれた環境で、命いっぱい生きているよとエネルギッシュに笑えるようにと、そんな思いを抱きながら撮ってもらった記念(祈念!?)の写真です。ディクシャ先生が撮ってくださったこの写真を見るたび、先生の温かい見守りも感じられ、今の私の日常を支えてくれる大切な一枚になっています。
そして写真の背景、屋根の上に創られた寺院、壁面の神々からは、
「揺るぎないもの」がある中で暮らしを営む人の、生きる姿勢、心の在り方を教えられました。
今回の旅の、大変印象深い、いまのわたしの暮らしに影響を与える時間となりました。
夕方。近所のこども達が、シバラヤーヨーガシャーラへ遊びに来ます。
滞在中のわたしたちも仲間に入れてくれて、クリケットやバドミントン、バレーボール、鬼ごっこetc…と、いろんな遊びをしてくれました。
「童心にかえって」走り回ります。気持ちだけが童心にかえるのではなく、タイムスリップしたかのように、わたしの存在が、こどもの頃に戻りました。
「鬼にあてられるかも!」とドキドキしながらも逃げ回ったり、
ボールやバドミントンの羽根が地面に落ちるぎりぎりまで追いかけたり。
そのドキドキ感や、息が切れる感じ、敷地の塀の外に出てしまったボールや羽根を取りにいくときの余白の時間、暮れていく空、人の声。
『勝った!』と互いに喜び、『負けた~』と互いに悔しがり、
夢中になって身体をフルに使って遊びながら、子どものときと同じ感覚が蘇りました。
思い出す、のとは明らかに違う、リアルに、そのまま、
あのときのこどものわたしが、同じ経験をしている、タイムトラベルとなりました。
そして、思うのです。あぁ、多くの人、環境、ご縁によって今のわたしがいることを忘れてはいけないなと。
今の切り取りのわたしは、単なる存在ではなく、
今ある、その背景には、奥行深~く、多くの人、環境、ご縁がある。
そう感じたとき、自然と、自分の今に(背後のすべてのご縁に)手を掌わせたくなりました。
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遊んでくれた少年たちは、ほどよく手加減をし、わたしたちにとって、たのしい時間になるよう気遣ってくれました。
彼らは、小学生~高校生までの幅広い仲間で遊んでいます。彼らと共に走り、共に作戦を考えながら、あらためて、遊ぶ、身体を動かす、みんなで、という「経験からの学び」の大切さを感じました。
単純なこと=「遊ぶ」ということが、日本では薄れていますが、そのことについて、ツアー仲間も感じたようで、共に立ち止まり、考え、共有できました。ツアーならではの共感と、大人の時間が、豊かに流れたのも、思い出深いです。
ちなみに、
写真の中で赤い服を着て、ひと際ダッシュしている人は、ナヴィン先生です。少年の中の少年でした!