インドでの体験を少しずつですが、綴っていきます。どうぞ皆さまも、想像力を高め、その場にいるかのような心持ちでお読みください。ご自身がその場にいたら、感じるであろうことを感じ、その微細な波動によって皆さまの内側に変化が起き、修行の助けとなって働きますようにと、願っています。
パートⅠは、「静」と「動」の体験記です。
まずは、SYSでの朝の瞑想「静」の体験から…
2026/04/07
インドでの体験を少しずつですが、綴っていきます。どうぞ皆さまも、想像力を高め、その場にいるかのような心持ちでお読みください。ご自身がその場にいたら、感じるであろうことを感じ、その微細な波動によって皆さまの内側に変化が起き、修行の助けとなって働きますようにと、願っています。
パートⅠは、「静」と「動」の体験記です。
まずは、SYSでの朝の瞑想「静」の体験から…
朝6時。
まだ世界がうっすらと闇に包まれている中、ナヴィン先生がそっと、ろうそくに火を灯します。
静かに、その時を迎える準備が始まります。
静けさの中から、徐々に朝日が昇るにつれ
体内の細胞ひとつひとつが目覚め、活動が促されていくのを感じます。
その変化を体感して初めて
それまでの自分の意識がいかに「静か」であったかに気づかされるのです。
「変化して初めて、それまでの状態に気づかされる。」
これは、どんなことに関してもそうなのですが、この意識の変化も同じ。
それはまるでグラデーションのように、「覚醒」という目覚めの意識が、深い静寂を上塗りするかのように、
そして、その塗り替えられた後の状態を
私たちはあたかも「静寂」であると思い込んで過ごしているのかもしれません。
覚醒と同時に、真っ白いスクリーンには「何か」が映し出されます。
たとえそれが静止画であっても、変化が始まった以上、それはもはや、深く純粋な静寂からの観察ではなくなってしまうのです。
この場所、この時間でしか得られない深い瞑想。
それはネタラの懐深い自然の中に身を置いたから、だけではありません。
ナヴィン先生(Naveen ji )の波動
ー「静けさ」と共に在る波動に ー
常に包まれていたからこそ、辿り着けた体験だったと思います。
ここからは、聖なる地「ナチケタ」を訪れたときの体験を記しますので、どうぞ最後までお読みください。
この2つのセクション
「動」と「静」の景色を通して、「輪」が 完結します。
その旅路をご一緒しましょう!
ナチケタへ向かう道中
「ナチケタへと続くこの道のずっと先には、シヴァ神の聖地ケダルナートが鎮座しています」ガイドのニイラジさんの言葉が響きます。
シバラヤーヨーガシャーラから車で1時間半。
そこから始まる、1時間半ほどのなだらかなトレッキング(約3キロ)。
世俗から切り離されていく神聖な空気に、
五感が閉じ、私の内外からノイズが遠ざかっていきます。
その道中、前を歩いていたナヴィン先生が、吸い寄せられるようにヒョイっと、1本の木へ。

迷いのない足取り。その姿は、身体能力の高さというより、自然の一部として躍動する「生き物」そのものでした。
先生の木登りと、摘んだ花を冗談まじりに説明しながら、みんなに試食させる姿。
それは ー 人間本来の無邪気なエネルギー「動」ー
この躍動感こそが、真理を求めた少年ナチケタの情熱(「動」)とも重なるようでした。
辿り着いた現在の「ナチケタ湖」
【聖地「ナチケタ」の物語】
聖典『カタ・ウパニシャッド』に登場する少年ナチケタ。彼は、形だけの供物を捧げる父(「役に立たない老いた牛」ばかりを寄進する父)を諫めた(いさめた)ことで怒りを買い、死の国へ追いやると告げられます。父の言葉に従い、死の国へ向かい、死神(ヤマ)の門前で、飲みも食いもせず三日間、死神を待ち続けたナチケタ。肉体を伴ったままその場にいるナチケタを見て、ヤマはただならぬものを彼から感じると共に、そのひたむきな姿勢に感銘を受け、彼に三つの願いを叶えることを約束します。ナチケタが最後に願ったのは、富でも長寿でも、あらゆる快楽でもなく「それらはすべて消え、なくなってゆくもの」と断じ、「死を超えた、真の自己(アートマン)の智恵」だけを願いました。誘惑を断固として拒み、真理だけを求めた彼が瞑想と解脱に至った場所が「ナチケタ」です。
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湖面に映る景色を眺めていると、ニイラジさんが笑顔で
「このお魚も、皆さんがここに来るのを待っていた。偶然ではない必然ですね」
そうだとしたら(そうであるのだけど)
「今、ここ」と一体となる、ことを改めて念じて、
ナチケタが実際に瞑想した本来の場所、水が抜かれた「ナチケタ湖」と「死の国へ向かった入口」とされる場所へ
移動し、
まさにその場所でナヴィン先生から説明を受け
瞑想へと、心が整っていきます。
「死の国への入り口」とされる巨大な穴
その前に立つと、吸い込まれるような圧倒的な静寂が立ちのぼってきます。
そのほとりで
ー 静かに座りました ー
瞑想を終え、再び歩き始めた帰り道。
目に飛び込んでくる、遠くに見えるヒマラヤの姿が、
行きとは全く違って見えました。
雄大な山々が、ただ、あるがままにそこに在る。
内側が静まり、余計なフィルターがクリアになったことで
透明に塗り替えられた清々しい景色。
心が映し出されるその感覚は、忘れないと思います。