わたしたちは頻繁に「時間を使う」と表現します。
レッスンでも、「時間」について思いを巡らせ、そもそも時間って何?時間ってあるのかな?時間についてどんな風に捉えているだろうと、無自覚でいるものに対し、気づいていくようにしています。瞑想が苦手、という方のヒントになればと思い、そのような気づきの実践をしているのです。
時間というものがあって、それを自分が使っている、という感覚では、ある種の力み、緊張が生まれるだけで、注意の先はあちこちに散漫し、心も、今のふるまいに集中することなく、気になることややり残していること、他の何かへと、あちこちさまよいがちです。
ですが実際には、私たちは「時間を使う」ことなどできず、時の流れを区切ることも、切り貼りして使うこともできません。雄大な時の流れがあって、そこにたまたま自分がいてどうふるまうか、を選択して生きています。その一瞬一瞬に、あれもこれもはできないので、あまたある選択肢の中からただ一つを選んで生きているんだということを再認識すること、気づくこと。そうすることで、自ずと、日常のふるまいにも変化が訪れ、緊張がほぐれ、今の行為に注意が繋ぎとめられ、心もそこに留まるようになります。そして、その延長線上で、瞑想もスムーズにできるようになるのです。
瞑想時は、時の流れに身をおきます。ただそこに座ります。ただそこにある状態です。時間を使うという感覚ではなく、時の流れと共に自分があるという感覚です。瞑想時を「特別違った」ように感じるのは、日常にその感覚がないから(=日常の「時間を使う」感覚で瞑想をしているから)ではないかと思います。
日常の延長線上に瞑想はあり、瞑想の延長線上に日常があります。瞑想は特別ではないということを、そして、日常においても、瞑想時と同じ、時の流れと存在との融合、ハーモニーを味わって頂けたらと思います。