もうかれこれ1年以上になりますね、家で過ごす時間がとても多くなりました。そのせいか「趣味は掃除」といえるほど掃除が好きになり、さあ、どこを掃除しようか、と朝から腕まくりしています。
そのような心持ちで家を見渡すと、見て見ぬふりをしていた箇所がたくさんあり、以前はさほどキレイにしていなかったことに気づかされます。積極的にキレイにしたい気持ちがあるので、そのような箇所にも手をつけ、丁寧に取り組んでいます。
掃除や片付けをしていると気持ちがその汚れや、片付けに集中するので、あっという間に時間が経ちます。嫌々やっているのではないので尚のこと、時間を忘れるほど夢中になり、精神的な苦痛もなく、スッキリした気持ちになります。前向きに取り組んでいることや、楽しいと思えることはどんなことでも苦痛にはなりません。同じように私は瞑想が好きなので瞑想の時間が苦痛ではありません。
ですが、そうなるまでは瞑想が退屈であり面白みもなく…苦痛でした!瞑想に前向きでなかったときは退屈で、結果を求めて瞑想をしていた頃は苦痛も伴いました。「やらねばならい」ような瞑想だと、きっと誰もが同じように退屈で苦痛を伴うのではないかと思い、受講生の皆さんには、瞑想が好きになるような、前向きに取り組みたくなるような、そのきっかけとなる言葉がけや指導を心がけています。受講生さんが”集中してしまう”ような課題や実践のあと「今のが集中であり瞑想の境地(入り口)です」と伝えると「はっ」とした表情をされます。体験をすれば「瞑想ってね」という、いかなる説明も無用。実体験に勝るものはなく、体感で手掛かりをつかむことによって、瞑想に対して純粋な興味がわき、それが積極的な取り組みへと変化します。
「掃除=好きなこと=瞑想=時間を忘れるほど夢中になれること」わたしにとってこれらはひとくくり、同じです。瞑想も掃除も同じカテゴリーの中にあります。
生活をしていれば、汚れるし片付けますので掃除は生涯続けられます。掃除と同じく、生きていると老いを含め人生いろいろ変化するため、心身を整える瞑想(ヨーガ)も生涯続けられます。掃除も生涯の趣味になり得ますが、「やらねばならない」のカテゴリーに入ったら、楽しいものではなくなり、趣味ではなくなります。どんな趣味でも、カラダが疲れるほど「過ぎる」または「こだわる」とつらいものになってしまいます。ヨーガ的に。ほどほどに…課せることなく、趣味のカテゴリーの領域で、掃除を続けていこうと思います。